
カラーオーダーで手編みのバッグを作りましょう。
1860年設立のフォンタネッリ社は、トスカーナの州都フィレンツェにあります。ヨーロッパの老舗バッグメーカーと同様に同社もまた馬具のボッテーガ(Bottega)を前身としています。下のセピア色の写真は、1920年代頃の撮影で、看板には ≪SELLAIO≫ (馬具製造人)とあり、馬具が入口に並べられ販売されると同時に注文に応じて、店の奥では馬具が造られていました。こうしてトスカーナ州では、製造と販売が一体となって行われていて、フィレンツェではボッテーガ(Bottega)と言えば、「工房」というより「商店」を意味しています。アルノ川にかかるポンテ・ヴェッキオの橋上に軒を連ねる宝飾店もまたボッテーガ=「商店」でしょう。
馬具製造からバッグメーカーへ
この写真について、フォンタネッリ社の社長に問い合わせたところ、撮影した1920年代までは馬具の製造でしたが第二次世界大戦後の'50年代にはバッグの製造へ転換していったようです。産業革命の進展によって移動手段が馬、馬車から鉄道、自動車へシフトしていったことにより馬具の需要がなくなってしまったからです。
この写真から丁度100年後の現在、2020年代は何が起きるのでしょうか。産業革命による大量生産と大量消費が全盛を向かえても、皮革製品のクラフト生産は、姿と形を変えて生き延びてきました。ポストコロナの時代に顧客の移動をサポートする職人企業とのコラボレーションによってクラフト生産の復活を目指します。
フィレンツェがなぜ手編み(イントレチャート)のバッグの聖地となったのか?
中川洋一郎(経済史学)によれば、西アジアに自生していた雑草のムギが古代ヨーロッパに伝搬・拡散していった。一方、ヒツジやヤギが家畜化されたのも古代であった。中世においては、収穫の後の麦藁で帽子や縄を編んだりするのが農閑期の庶民の仕事であったと察せられる。また、家畜としてのヒツジの毛が素材となってフィレンツェが毛織物工業の最先進国として富を蓄積し、ルネサンス文化の社会経済的基盤となっていった。フィレンツェ市街の核にあるサンタ・マリア大聖堂は、毛織物のギルド(伊語でアルテ)の寄進によって建立される程、栄華を極めた。こうした麦藁の手編みとヒツジの鞣革がフィレンツェをイントレチャートの最先進地へと押し上げていったのは想像に難くない。

ミケランジェロ広場からフィレンツェ市街を望む。
モードにおける色彩革命
「この年でこの色は派手ではないかしら?」
そんなことはありません。自分好みの色で良いのです。男の子は黒いランドセル、女の子は赤。それはジェンダーの固定観念に過ぎなかったのです。それをモードの世界で打破したのが、1981年パリコレクションに登場した川久保玲、山本耀司の「黒の衝撃」と呼ばれた事件だったのではないでしょうか?これを突破口にモードは、ジェンダーレスの時代となりました。
アルティザンのクラフト生産によるカラーオーダー
大量生産システムの対極にあるアルティザンのクラフト生産が、パーソナルなニーズに合わせた肌理の細い要望にもお応えできるのは、当店アンナマリアが長年に及ぶコラボレーションで中世ルネサンス期の注文生産をオンラインによって復活させようと試みたからです。
イタリアの皮革製品の良さは、その素材の良さにあると言われます。特にトスカーナ州フィレンツェには、鞣工房が千軒程ありその周辺の靴、バッグメーカーの産地を支えています。特にフォンタネッリのラム革は、絹のように滑らかに鞣されていて、掌にしっとりとした感触を覚えさせてくれます。オーダー御希望のお客様には、無料で色見本を貸出しておりますのでお気軽にお問い合わせください。
あなた好みの色をお選び下さい。
あなた好みの色を全48色の中からお選び下さい。そして三ヶ月だけ時間を下さい。フィレンツェのアルティザンが丹念に手編みいたします。従いまして、有名ブランドのように都心の一等地の瀟洒なブティックで高額な値段で販売することはありません。あなただけの一点を適正な価格で作らせていただきたいのです。






























