変容する「第三のイタリア」

 アーナルド・バニャスコは、<<Tre Italie>>(『三つのイタリア』)(1977)の中でミラノ、ジェノバ、トリノの北西部工業地帯(「第一のイタリア」)とローマ以南の農業地帯(「第二のイタリア」)に対して、ルネサンス期にまで遡る手工業を中心としたフィレンツェからヴェネツィアにかけての中部・北東部の地域一帯を「第三のイタリア」と名付けた。

 1969年から'70年にかけてイタリアの暑い秋と呼ばれる北西部の工業地帯で頻発した労働争議。一方、ファッションの世界でのマーケットの変化に対応できたのは、中部・北東部の家族経営による軽工業であったことからこれに高い評価が与えられた。

 しかし、'90年代から本格化するグローバリゼーションとIT革命によって、生産拠点をルーマニアを初めとした東欧圏にシフトさせるに及んで地場でのクラフト生産のネットワークが成立する諸条件が根底的に変質していくことになる。更に2020年から始まるパンデミックによって甚大な経済的損失を蒙ることになった。

 14世紀のペスト収束の後誕生したイタリアルネサンスは、建築デザインに特色があり、次の時代のデザインを創造していく文化は、コロナのパンデミック収束の後、生きていることの喜びから生まれていくであろう。

 拙著『戦後イタリアにおけるクラフト的生産とその流通ー中部・北東部における皮革製品を中心に』(2013年11月)を参照していただければ幸いです。

(2023年11月17日)

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