ボードリヤールの予言

 モノの背後には、うつろな人間関係があり、膨大な規模で動員された生産力と社会的力が物象化されて浮き彫りにされる。ある日突然、氾濫と解体の過程が始まり、1968年5月とおなじように、予測できないが確実なやりかたで、黒ミサならぬこの白いミサをぶち壊すのを待つことにしよう。(注1)

 故ボードリヤール(1929-2007)の『消費社会の神話と構造』における最後の文章である。「白いミサ」とは、翻訳者の塚原史氏によれば「消費社会」のことである。また、「1968年5月」とは、パリ「五月革命」のことであるのは言うまでもない。

 '68年の革命から40年後の現在、ボードリヤールの予言は彼の死直後に現実のものとなった。冒頭の「モノ」を自動車やラグジュアリーブランドなどに置き換えて読んでみると2008年の秋、「ある日突然、氾濫と解体の過程が始ま」ったのかもしれない。サブプライムローンに端を発する金融危機は、そのきっかけのひとつを与えたものに過ぎなかった。

 そうだとすれば、世界各国の金融財政におけるマクロ経済政策のみによってこの危機が克服される訳ではない。「モノの背後」の「うつろな人間関係」、グローバルな価格競争の下に「膨大な規模で動員された生産力」、つまり日本でいえば非正規労働の問題等。産業革命以来の大量生産と大量消費システムの近代が行き詰まってしまった問題である。

 こうした歴史的転換点に際して、企業家は何をなすべきか。創業の原点に立ち返って考えてみたい。流通は消費と生産の媒介であると定義すれば、弊社はイタリアの生産者と日本の消費者、隔地者間の媒介者として「労働」に焦点を当て1992年に創業。この基本コンセプトは、いささかも振れることはない。しかし、「労働」の意味するところが創業時とは確実に変容している。

 15世紀のルネサンス工房は、中世のギルドの枠組みにありながらも若き徒弟達の才能を開花させた。このルネサンスの遺伝子を受け継いだ「第三のイタリア」と呼ばれる地域の工房で創出されるデザインを紹介するメディア制作の現場で、芸術と科学とが相互作用しながら創造へと向かう現代のデジタル工房を目指したい。

(注1) ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』(今村仁司、塚原史訳 紀伊国屋書店) 引用文の中の「物象化」とは、市場経済の下で交換価値としてのみモノは扱われ、それが人間の関係の中にまで反映してしまうことである。

2008年12月25日

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