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地中海世界とルネサンス

 地中海は、オリエントの文明を古代ギリシャ・ローマに伝播させる媒体となった。地中海を舞台とした東方貿易においては、沿岸部のヴェネツィア、ジェノバ、ピサといった諸都市が繁栄したのは頷けよう。13世紀後半から16世紀にかけて、なぜ内陸部のフィレンツェで毛織物工業が栄えたのかについては諸説ある。最新の知見によれば、フィレンツェ市街を流れるアルノ川が毛織物工業に必要な①水、②水による動力、③川運(ピサの港までの)による輸出入の物流を可能としたことがあげられている。また、三方を山に囲まれたフィレンツェの地形が盆地の中でクラフト的生産を独自に発展させていったのではないかと考えられる。更に地理的条件が揃っていても人材がいなければ、事業は成立しないことから④起業家の存在があげられている。

 ルネサンスの文化運動は、毛織物工業の最先進地として東方貿易によって繁栄を極めたフィレンツェで興った。イタリアではアルテ(Arte)と呼ばれる毛織物同業者組合(ギルド)の寄進によって、サンタ・マリア大聖堂の建設が1296年に始まった。14世紀から16世紀にかけてのルネサンスは、地中海世界に咲き誇った花である。

サンタ・マリア大聖堂

 ルネサンスの社会経済的基盤は、フィレンツェの毛織物工業が地中海における東方貿易の覇者となることでもたらされた繁栄であった。この毛織物のアルテ(同業者組合)の寄進によって、サンタ・マリア大聖堂の建設が始まったのが1296年。その完成まで140年の歳月を要したことから、ゴシック様式とルネサンス様式が混在はしているが、違和感のない調和を見せている。

 1436年サンタ・マリア大聖堂のドームがフィレンツェの天空にその優美な姿を現した頃、初期ルネサンスの文化運動が開花の時を向かえようとしていた。ドームの設計者フィリッポ・ブルネレスキは、サン・ジョバンニ洗礼堂門扉の彫刻の競技会でギベルティに敗れた後、ローマに赴き古代建築を研究。最後まで残されていた大円蓋(ドーム)のコンペで宿敵ギベルティに勝利し、大聖堂のドームを完成させたのである。カソリックの教会建築、大聖堂を核とするフィレンツェの都市空間においてルネサンスの文化が花開いていく。