装飾の過剰という迷路

 この秋冬のブランドバッグの幾つかは、装飾の過剰という迷路に入り込んでしまったようだ。ポストモダンのデザインは、機能性の下にデザインを従属させる近代に対して装飾を施すことでそのアンチテーゼとした。しかし、その機能性と装飾の拮抗するバランスは崩れ、装飾を過剰なまでに施すことによってしか近代から逃れる術がなくなってしまったのであろうか。

 '68 年パリ「五月革命」の興奮醒めやらぬ頃フランスの社会学者ボードリヤールは、モノが消費されるためには記号とならなければならないとした。すなわち、モノは差異というコードの中で記号として機能することで初めて消費されるのだ。'70年代以降は、彼が洞察した「記号の消費」の時代を向かえ、'90年代からの消費不況などものともせずにラグジュアリーブランドの消費は彼の指摘した如く推移していると言ってもよいであろう。しかし、時代のコードを捉えたブランドとそうでないブランドの優勝劣敗はある。

 装飾の過剰に陥ったバッグブランドを見るにつけ、ポストモダンのデザインの終焉を告げていると思えてならない。あらゆるモノが記号と化し消費される社会に抗うデザインとその思想もまた、時代のあるコードの中で記号化し消費されざるをえない。よって近代を自明のこととして成立したポストモダンというアンチテーゼも消費の中に組み込まれ、時代のコードの変化によって廃棄されていく運命にあると言うべきなのか。

 近代の国民国家、企業、家族…といった他者から「自由」となりアトム化する日常において日々起こるコードの変化に晒されながら生き、働く現代女性の多様なライフスタイルに'05年の春は、新しいデザインを提供してまいりたいと思います。'05年春夏の新作に御期待下さい。

2004年12月1日

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