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1968年の革命とモード ー 美の歴史について

 1968年の革命を通した消費社会の変質に機敏に対応し得たのは、東京の青山・原宿周辺で起業した零細のアパレルメーカーでした。マンションの一室で企画デザインしていたところから、マンションメーカーとも呼ばれた。だがこうした一群の零細メーカーの中から中堅企業へと成長したのは、極く稀であった。ある識者によれば、彼等は企画のみに特化し流通経路の開拓を行わなかったからだという。しかし、’70年代のフォーク世代の鋭い感覚に反応し、自己表現の手段を提供し得たことは、紛れもなく歴史的な出来事であった。

 この’68年の革命とモードにおける事件を美の歴史から読み解く必要があろう。’68年の革命を通して三島の美が、やがては川端の美が滅んでいく一方で、最もラディカルにモードの世界との闘争に挑んだのは川久保玲ではなかったのかと思われる。当時、小学校に入学する際、男の子は黒いランドセル、女の子は赤というように色彩が差異の表示のための記号として機能していた。こうした性差を自明のこととした共同の幻想を打破したのが、’81年「黒の衝撃」と呼ばれる黒単色によるパリのコレクション発表であったと言えよう。

 そこで問題なのが、三島、川端の美を葬り去り、更に性差の解体のあとモードの世界で美は可能なのかということであった。これこそが50年を経過した現在も生き続ける問いであろう。この問いから出発して、顧客との対話を通してその活動をサポートするバッグのデザインを創造してまいります。これはルネサンス期にまで遡るイタリアの職人企業とのコラボレーションによって実現可能となると確信しております。そのデザイン思想とは、柳宗悦の次の言葉に触発されている。

美しさのために作った器よりも、用のために作った器の方がさらに美しいと。またはこうも云えるでしょう。上等のものにしろ普通のものにしろ、用のために作らずば美しくはならないと。なぜ前者よりも後者の方に美しい作がより多くあるか。それは性質上普通の品が、より多く用途と結合するからと答え得ないでしょうか。(『民藝とは何か』)

2018年12月10日